
セドナ滞在6日目を迎えた。
この日は、待ちにまったあの人に会える日。日本を出発する前からセドナに行ったら、とにかくこの人にだけは絶対にアポを取ろうと思っていた、セドナの日本人ガイド「NANAさん」
最近は、コロナの影響でセドナやアリゾナに行けない人たちのために、Youtubeで「セドナ・バーチャルツアー」を配信されている。私もいくつか動画を見させてもらったが涙が出るほど優しく癒される。(またセドナに戻りたくなる)
NANAさんは、セドナではかなり有名。TVや芸能人御用達の敏腕ガイドでもあり写真家でもある。最近はナショナルジオグラフィックやAdobeへの写真提供もさながら、本の出版やリーディング等、本当に多方面多彩に美しく活躍される知的で「ミラクル」の言葉にふさわしい経歴を持たれる女性だ。ちなみにNANAさんのお父様は世界で初めてカメラのシャッターを開発されたエンジニアで、家族揃ってミラクルなんです(驚)
そんなミラクルNANAさんのガイドは、その日の参加人数で値段が変わる仕組みになっていて、セドナでの滞在日程を伝えると、他のお客さん達の予定をみて、値段がお得になるようにスケジュールを組んでくれます。わたしがお願いしたときは、グランドサークルを一緒に周った織江さんと、マッサージの仕事をしながら世界各国をドープに旅している「ゆかさん」の3人で参加することになりました。2人とも、しっかりしたお姉さんキャラです(・∀・)

NANAさん曰く、私たち3人は全員、無計画人間のあつまりだったそう(笑)でもそうなるよねぇ。だって、セドナってきっと、時空を無視してゆっくり心のままに過ごす場所だと思う。
さぁ!いよいよ楽しみにしていた本格的なセドナツアーに出掛けます!NANAさんのパートナー「ケニー」も一緒に同行です!どんな景色があるんだろう。わくわくする。
まずはセドナを見渡せる展望台にのぼって、セドナが「セドナ」と呼ばれるようになった歴史を教わった。

「Sedona」は、過去にこの土地に移住してきた女性の名前からとって付けられたらしい。Sedonaの旦那さんが、「ここに郵便局を作りたい!」と申請するとき、はじめに申請した郵便局の名前が長いから「もっと短くしてくれ!」と言われ「じゃあ、セドナ郵便局でどうだ!」ってなって、そこから「セドナ」とゆう名前が町に浸透していったとゆう・・・
そんな由来でいいの?!パワースポットやのに!!?(゚Д゚;)
展望台で衝撃の事実を聞いた次は、車で移動して「子宮の洞窟」へ向かうためのハイキングウェイへ。

「子宮の洞窟」は英語で「Birthing Cave(バースィングケイブ)」といいます。洞窟の中には、人間1人がやっと座って入れる小さな穴があり、そこに座って願ったことは叶うと言われている神秘的な場所。

過去には、ずっと子宝に恵まれなかったご夫婦が至急の洞窟で願った後に見事、妊娠の報告があったとNANAさんが言ってた。
その子宮の洞窟へ足を踏み入れる前に、私が「感謝の儀式」と勝手に読んでいる小さなセレモニーがありました。
もういきなり書いちゃうけど、この儀式の最中、私は呼吸するぐらい自然に、サングラスの中で涙を流していた。こんなことは生まれて初めてだった。普通、涙が流れるときは胸や心が多少なり痛くなるか目頭が熱くなるか、どちらにしても感情的な前触れもなく涙が流れることなんて今までなかったのに、気がつけば「スー...」と涙が頬を伝ってた。

それは、太陽の光が毎日地球に届くように自然に。数滴の涙の玉がスー...っと自分の頬を伝って唇まで落ちてきたのだ。

全ての状況を考えてみても、あまりにも前触れのなかった涙だったから、わたしはこの時、NANAさんにも誰にも泣いたことは言わず自分の中に閉まっておいた。でも後から聞くと、この儀式の瞬間に私と同じような状況になった人は結構いるみたいだ。
そんな感謝の儀式は、東西南北を指したこんなサークルの周りで行われる。

東に感謝。
西に感謝。
南に感謝。
北に感謝。
太陽に感謝。
空に感謝。
大地に感謝。
前に感謝。
後に感謝。

私の記憶が正しければ、このような流れで静かに愛を込めて、この地球の森羅万象全てに感謝の巡礼をした。
「感謝」を心で想っているあいだ、NANAさんが儀式のために鳴らしたトライアングルの甲高い音が空気に馴染んでから、震えて消えた。感覚が研ぎ澄まされる音だった。

やっぱりすごい。
思い出して書いている今も、ここで経験した事は込み上げてくるものが大きい。
でも、こうして思い出すとともに、私はきっと常日頃の生活で当たり前の物への感謝を毎日の惰性に埋もれさせて忘れていたことに気付く。人間はなんて愚かな生き物なんだろうね。すぐに「当たり前」への感謝を忘れてしまう。
そして1人づつ、ゆっくり巡礼を終えて子宮の洞窟へ入った。

「願いが叶う」と言われる子宮の洞窟で、今日自分は何を願うのか。
ここに来たらその言葉と願いは舞い降りてくるだろうと思ってたから、願う前は頭も心も全く揺れなかった。
そんな私の願いは、
「わたしにしかできない使命を知り、それを生涯かけてやり遂げること」

普通でしょ?
願いは1つだけだとなんとなく感じたから、このシンプルな願い以外は何も心に念じなかった。みんながそれぞれに静かに願い終わり、時間が止まったかのようなこの冷んやりとした空間で好きなように動いては止まって、優しい大自然のベッドを見つけて渓谷の鼓動の中で少し昼寝した。

大好き。この場所。今日ここに出逢えて、本当に嬉しい。

NANAさんが今日たくさんの叡智を教えてくれた中で、鮮明に覚えていることがある。
にんじんの種を庭に撒いたら、
毎日「にんじんが育つ」と
疑わずに水をやるでしょう?
願いもそれと同じで
「信じて疑わないこと」
にんじんの種から、まさか、
ダイコンが育つなんて誰も疑わない。
だから願ったらそれが叶うと信じ続けること。
それが一番大切なことなんだよ。
願いは信じ続けていれば叶う。
NANAさんはそう自信を持って教えてくれた。きっと、NANAさん自信がそうして何度も何度もミラクルを起こしてこられた方だから、言葉には安心感とパワーが宿る。
私たち人間は、大人になるにつれて忘れていく。難しくなる。
一度信じたものをただ信じ抜く力。
好きになったものを、純粋に愛でるまっすぐな力。
年月を重ねる度に移ろいゆく人間社会の中で、例え段々と周りに置いてけぼりにされることを感じたとしても、私はこれからもずっと「信じることを貫き通す人生」を生きて行きたい。
今日この日のことを思い出しながら書けて良かった。ありがとう。
(つづく)