
私は、市営住宅に住む5人家族の最後の子供として生まれた。
兄は11歳と9歳離れていて、私が言葉の意味を段々理解できるようになった頃には、もう2人とも存在感抜群で、それぞれの道を大胆に男勝りに進んでいる最中だった。
2LDKの間取りには、しっかりとした壁に囲まれた部屋は1つもなく、横にスライドする和室の障子みたいな薄いドアで設計された家だった。そんな薄っぺらい家に、両親・長男・次男・私(途中から犬が2匹)で住んでいたことがいまだに信じられない。
兄2人で1室を使うので、私の女部屋は台所だった。
小学校というものに通い、友達ができて家に遊びにいく機会が増えるのだが、友達は私と同じ市営住宅やマンションに住んでいても、「自分の部屋」がちゃんとあった。
女友達の部屋には女の子らしいベッドや、女の子らしいぬいぐるみや絵、少女漫画が置かれた棚があった。たまに、弟と一緒の部屋にされているお姉ちゃんをしてる友達もいたが、弟とも仲が良く一緒に遊んだりできていたから、それはそれで羨ましかった。
わたしには、部屋がなかった。
でも、私は多分父にも母にも、幼いときに「部屋が欲しい」とゴネたことはないと思う。(犬が欲しいと父の足下から離れず懇願した記憶だけはあるが)
母は、なにも言わない私に気を遣ったのか、6畳ぐらいしかない台所&リビングの一角に柵を作って、愛の部屋にしたらどうだろう?と提案してくれたけど、もはやスケスケの犬小屋にしか見えなかったので「...いらない」と言って、私は夜だけ、押入れの2階を自分の部屋にするようにした。
夜は、みんなが布団を出して部屋に敷くので、押入れに大きなスペースができる。シングルベッドぐらいの部屋だ。天井も結構高い。それに、押入れのスライドドアは少しだけ重たくて、この家の中でトイレに次にセキュリティが高いことを子供ながらに察知したんだと思う。
押入れの1階には掃除機や収納ケースが入っていたので、必然的に2階を使うことにした。電気がなかったので、延長コードを部屋のコンセントから引っ張り、フックを上手に使って読書ライトを押入れにつけた。長男が使わずに放置させていたライトだから、勝手に使ってもOKだった。
あと、赤い編みカゴも天井から吊るして、お気に入りのおもちゃを収納できるようにもした。たまに人形やぬいぐるみを私が寝る枕の方にむかせて、私を見守る形で全員同じ方向(左下)に向くように配置するのがちょっと難しかったりもした。
私が部屋(押入れ)で好きな作業をしていると、お兄ちゃんがノックもせずにドアを空けて「おまえ何してんねん(笑)ドラえもんかよ!!!」と大爆笑してきたが、何故か大好きだったお兄ちゃんが私が好きでやってることを見て笑ってくれるのは純粋に嬉しかった。
お兄ちゃんは、大人になってからも私が幼い頃、押入れを部屋にしていたことをよく笑って友達や彼女に話していた。
私は子供だったけど、押入れを真っ暗な状態にして一人でいることを怖いと思ったことは一度もなかった。(夜道とか歩くのは今もめっちゃ怖いのに)
シングルベッド程の空間しかない押入れだったが、私にはその広さは計り知れなかった。目を閉じると、『ここなら好きな子も友達も大きな動物もたくさん呼べる』とすら思った。それは、今この文章を描きながら当時の幼い自分を映画のワンシーンのように俯瞰的に見つめていてもそう感じる。
あの空間は、私の無限への旅の始まりだったと。
想像する全ての世界と繋がれる空間が、押入れだった。
あの空間で寝ながら見た夢は、子供ながらの深い潜在意識との対話・瞑想だったのだと今なんとなく思う。(全部の願いや夢を覚えているわけではないが)
夜、好きな漫画や本で見たことを、たくさん考えながら幸せな気持ちで部屋(押入れ)に横になる。好きだった子もいたので、その男の子のこともよく考えた。不思議と真っ暗な押入れで考えるのは、「未来」という言葉の意味もよく説明できなかった未来のことや、ワクワク・ドキドキすることばかりだった。
あの真っ暗な空間は、私が何を思っても感じても「NO」と言わなかったし、「変な家庭環境」から色んな場所へ連れてってくれる無限の場所であったのかもしれない。
ただの真っ暗の押入れだけど、バカげた幼少期の出来事だけど、SF映画にワンシーンに出てきても成り立つと自信を持って言えるんだ、なぜか。
私が旅人として世界を放浪しようと決めた人生の根元も、あの時、あの押入れの空間で想像できた鳴り止まない潜在意識が生きて、今という瞬間に今の私で、ここに存在しているんだろうな、となんとなく記憶のような意識が繋がる。
きっと、どこかで願い、強く意識した結果が今の自分なんだとしたら、今、自分の行くべき道を見失いかけている自分自身がすべきことは、幼少期からの記憶を、突っつかずに自然に委ねながら丁寧に呼び起こすことではないかと。
自分は一体、どうありたいのか。
どうあるべきじゃなく、どうありたいのか。
パソコンも携帯もなかったあの頃の幼い自分が、狭い押入れで常に無限の世界と繋がっていたという紛れもない事実を「過去」として私は今持っている。あの頃の自分ができていたように、自分の夢見る、もしくは信じるものを明確化し、また絵にも文字にも描けることを目標に、最近は毎日自分なりに試行錯誤だ。
あらゆる文献を読み漁り、挑戦し、掘り起こし、そしていつか見つけるその答えは、笑うほどシンプルで美しく平和で、そして壮大であってほしいということだけは言える。
全ての沸き起こる震動に向き合いながら、丁寧に探っていくマインドの一角を今日ここに残す。
これからも、こうしてマインドは綴るようにしようと思います。
(おわり)