
旅の最中に出逢った人と深い話をするのが、私は一番好き。
一番好きというか、そういう話をできる人としか私はきっと仲良くやれない。
目を見てちゃんと話せる人。
人の言葉や何かの受け入りでそれらしい言葉を並べるのではなく、自分の心の中から言葉を発する人。
どんなに容姿が綺麗だろうが、社会的に成功してようが関係なく、謙虚な人。
人間みんな色んな問題を抱えながら生きているけど、前向きに立ち向かう強さをちゃんと持ってる人。
本当に素敵な人っていうのは、そういう人なんじゃないかな。
これまでの移動距離に比例して、私はそれなりに多くの人間を見させてもらった。
もちろん、旅中に一番よく見ているのは自分自身だけど。
ふっと最近、私はけっこう他人の心にグイグイ食い込んで話ができてきたことを不思議に思った。
出逢ったばかりにも関わらず、涙付きで重たいところまで打ち明けられることも多々あった。
打ち明けてきた当の本人も、「愛はなんか喋りやすいから」としか言ってくれなかった。
ちょうどこの間、ラスベガスでお世話になったのりさんと大阪で会う機会があったので、なんでそんなに重たい話を躊躇なく打ち明けてくれるのかを聞いてみた。
「愛ちゃんとは利害関係とかないからね。だからなんでも話せるんだと思う。社会で特につながってないじゃん?」
縦社会、エリート企業で稼ぎ、社会の重圧に押し潰されて心療休暇中ののりさんが教えてくれた答えが、今日なんとなく消化できた。
なるほど。確かにな。
私は一応人間で大人だけど、そうだね、社会人ではないのかもしれない。
私はきっと、これからもこんな感じで、社会から離れた眼点で物事や人間、そして自分という生き者を消化して生きて行きたい。なんだかそれって、きっとおもしろいじゃん。
人生の咲かせ方を知らない「観葉植物アーティスト」
今日は、東京・雑司が谷にある知り合いのオフィスにやってきた。
数年前から仲良くさせてもらってる、土木会社を経営するおっちゃんから「寄せ植え見に来ない?」と今朝、謎のメールが入っていたのだ。
また絶対話が長くなるやつや…と気乗りしない状態で行ったというのが本音。
おっちゃんの会社に行く途中、道端であった猫ちゃん。
神主にゃんなの?(・∀・)すんごいたくさん鈴を付けてるね。




そういや私、おっちゃんの「名前」知らないんだ!
出逢ってもう5年以上仲良しだけど、ずっと「おっちゃん」って呼んでるから「おっちゃん」が名前なの。
先にも書いたとおり、おっちゃんはここ雑司ヶ谷でもう30年近く土木会社を経営している。
ブログに書くのはOKと言ってくれたけど、あちこちに資料やら本やら報告書やらが鬼のように山積み&散乱してて、どこからどこまでが載せていい範囲なのかわかんなかったから、作業場の写真は撮らなかった。

おっちゃんは、ここ数日もオフィスに泊まり込んでずっと仕事漬けの日々だったみたい。
会社はいつも人手が足りてなくて、人材も募集してたまに良い若者が入ってくるそうなんだけど、社員が定着しない。だから結局おっちゃんが自分一人でやらなくちゃいけない。
もう70歳超えてるんだよ?冗談抜きで、ベンチャー企業に勤めてる若者より働いてる。
おっちゃんは、仕事と趣味の境目が見えないほど、この仕事を愛してるの。でも、ぶっちゃけ会社は全然儲かってない。
「整理」「効率よく」「落ち着く」という概念なしに物事を進めるおっちゃんは、いろんな無駄が多すぎるんだと見ててわかる。会社に社員が定着しない理由もきっとここにある。
一通りどんな作業なのか、私がもし遠隔で手伝えることがあればと思って仕事内容を見せてもらったんだけど、どんなけ集中して勉強したとしても、3年は必要だなって感じだった。測量とか設計とかCADとか、私にすぐにどうこう手伝える内容ではなかった。



このまま、“◯◯記念資料館”と名付けて、小さな名所にできそうなぐらい年期の入ったおっちゃんのオフィスを見て、自然と湧いた質問だった。





おっちゃんの事務所にある、ほとんどの物が、おっちゃんにとっては絶対捨てられない宝物なんだろうなっと思っての質問だったが、わかりきった事を聞いてしまった。



おっちゃんのマシンガントークは常にこんな感じ。とにかく喋りたくて聞いてほしくて見せたくて仕方ないのだ。「人の話を聞く」のと「会話のキャッチボール」が、ほっとくと一切できなくなる人。
そんなおっちゃんは、実験に近い工作やちょっとした発明が大好きな人。
これまでその小さな発明の特許も多数取ってきたけど、それがビジネスに繋がることは一度もなかった。

壊れた電化製品や文房具などに、海岸で拾ってきたものを付け足したりして、おっちゃんの論理的なセンスを付け加えた、独創的な観葉植物達。もちろん全部生きてるんだよ!

これなんかは、目覚まし時計の中に砂と観葉植物が入っているのに、ネジをまわせばちゃんとまだ時計の針が動くこだわりの作品らしい!

壊れたタイムカードを分解して寄せ植えにしたロボ系観葉植物や、、、

シンプルで、意外とウケそうなプランターだってあるの!もちろん世界に一点だけの作品ばかり。

たくさん見せてもらったコレクションの中で私が純粋に欲しいと思ったのが、大きな貝殻でできたこのプランター!

ゴチャゴチャしてないけど存在感があっていいなって思った。ぜんぶ本物の貝殻だよこれ!

それ以外にも、おっちゃんはこれまで100種類以上ものオリジナル観葉植物を作ってきたそうだ。中にはこんな可愛いものだってあるんだけど、置くスペースがなくなって箱に終われた作品も多いらしい;















時間は何歳になっても皆に平等だと思う。
だけど、70代のおっちゃんになぜこんなにも時間がないのだろうか。
私だったら、おっちゃんのこの観葉植物達を撮影してWEBサイトを作り、通販システムを整えてあげることだってできる。だけど、たとえ私がそれをやってあげたとしても、本人が誰よりもにそれに興味を持って継続していかなきゃなんの意味も持たずに終わる。
要は自分で腹をくくって何かを決意して何かを捨て切らない限り、周りからの手伝いや心配は「ただのお節介」として無駄になるだけ。それに、おっちゃんがそれを「本当に心から」臨んでいれば、きっと自分でやれる人だと言うことも私は知っている。
私はね、もっとうまく立ち回りながら生きていく術をおっちゃんには知って欲しくてたまらないのだ。
私だって不器用で人生損してる事も多いけど、おっちゃんはそんな私より1000倍不器用だ。
こんなに愛を込めた作品を作るだけ作って、咲かないまま死んでほしくない。

仕事を引退して余生を楽しんでいるのであれば、「老後のいい趣味だね!」ってガハハと笑えたんだろうけど。
土木業においては才能もスキルもあり、好きな仕事だから没頭しすぎて自分で気付いていないだろうけど努力もしていて大量の時間を費やしてきたのに全然プラスにならないおっちゃんの社長業と、この未だ日の目を見ることのない観葉植物達を見て、私は自分の人生と照らし合わせもながら色んなことを考えた。
そして、少しでもおっちゃんの観葉植物達が世の中に広まればと思ってこの記事を書こうと思った。些細なお手伝い。
おっちゃん、、、
もう自転車操業の会社なんてもうやめてさ。
不要なものは思い切って全部断ち切ってさ。
自分の体をもっと一番に大事にしてさ。(ほんと働きすぎ)
周りの話やセカイにもっと耳と心を傾けてさ。
心から深呼吸してほしいよ。
お節介かもしれないけれど。


おっちゃんの右手と左手をそれぞれ取り、ぎゅっと力を込めて握手したあと、事務所を出た。



(おわり)